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パニック障害は収束へ向かう・・・といいんだが。の巻

年末は情緒不安定な日が続いていたワケで、
目眩、発汗、動悸に相変わらず悩まされていたワケです。

自分ではまだまだ大丈夫、イケると思ってたんですがね、
日頃から俺を見ている嫁さん曰く、

このままじゃ本当にダメになってホントにどうにもならなくなるぞ。と。

確かにね、
症状が出始めた頃は仕事中だけだったんだが
日が経つにつれ人混みとか狭い場所でも症状が出始めた。
ちょっとした物忘れやケアレスミスが目立つようになる
道順も頭の中で組み立てることが難しくなってきた。

こりゃマズいな。と。

パニック障害って案外認知度は低いもんで
会社に説明したって所によっては単なる鬱症状
『そんなもん』で片付けられてしまうこともある。
当の本人は『そんなもん』じゃ済まされない問題
そこら辺上手く相手に伝わらないもどかしさと
今仕事が無くなってしまったらどう生活してけばいいのか
果たしてこんな俺にできる仕事はあるんだろうか

そんな不安が拍車を掛けてさらに自分を追い込んでいたワケで

いよいよどうにもならなくなる前に一歩踏み出さなきゃ。と。

んなワケで昨年12月半ばに休職

半月あまり冷静になって色々自分の身の振り考えて





転職に踏み切った。



正直、この会社に入った時から違和感があったワケで
勝ちだ負けだ強引にでもやってしまえ失敗したら知らねぇよ
強いだ弱いだ強面だそうじゃないだは俺には合わなかった。
生活の為だ少しくらいは辛抱だなんて考えがダメだったようだ。

40過ぎてもヤンキー集団みたいな場所に居座るのは無理だった。



いや、もう
心機一転新しいとこで頑張ってるんですけどね。


パニック症状は今んトコ
出てませんです。

〇〇の気持ち。の巻

実は

12月の後半から
主夫をしておりました。

全く仕事ができない訳じゃないんですが
何しろトラックを運転しなきゃならない業務
もしも、もしも何かあったらとても責任取れる自信がね・・・

休職しておったワケですよ。

まぁね、
なぁーんにもできないような状況じゃないし
プラプラしてるのも一家の大黒柱としてどうかなと。

自分に今できることっていったら
家のことをやるしかないかなと。

ずっと家事をしていたわけですがね。

まぁそれなりに独身生活していた時期もあったからと
たかをくくっていたんですが、これが案外大変で

仕事行ってる嫁さんが帰ってくる時間から逆算して
飯の支度や風呂の準備、買い物とか部屋の掃除
ナメてかかってたのでソコに部屋の模様替えなんてぶち込んでしまったもんだから

さぁ大変!なワケ。

コレ、
夫婦共働きなのにやりこなしてる嫁は凄いな。

と、
嫁の凄さと大変さには
身を持って痛感したワケ。

日頃
その状況に置かれないと
相手の気持ちなんてわかんねぇよ

と声を大にして言ってた自分

いや、マジ、

主婦って大変だなと。

Bravado・・・の巻。

気がつきゃもう今年もあと数日
このブログ、以前にも書いたが
時間がある時や思い立った時に
一気に書き溜めるので結構タイムラグがある。
結構ネガティブな記事が多いのがアレだ(笑)

さてさて
相変わらず目眩が強烈で
俺ったらどうしちゃったの?感が拭えないワケね。

まぁアレだ、
呑気に生きてきたもんだから
精神面の年末調整ってやつだな。

誰にも気づかれないように踏ん張っているが
踏ん張り程にも限界があるワケで
テメェの弱音はココでゲロしてごまかしている。

とりあえず会社には事情を話し
内勤への移動を願ったが
あっさり却下された。

まぁそりゃそうだ
自分の都合でそう簡単には許可は貰えないワケで
しかしながら事故を起こしてからじゃ遅いのも確か
じゃあ辞めちゃえばって言われて仕事を失う恐怖と
いや、まだまだ自分は甘ったれてるだけでまだ頑張れる
と自分に言い聞かせているものの体は正直なもので
強烈な目眩と動悸でぶっ倒れそうになるのを
必死で堪えている。
悪循環ってやつだ。

しかしながら俺って人間は
人付き合いが悪いだけじゃなく
自分と付き合うのも下手だってこと。

そんな自分と闘いながらの日々
妻が持たせてくれた弁当の中に
一枚の紙が入っていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

DEAR 〇〇
あなたと一緒になって10年ですね。
私は裕福な生活は望んでいません。
私はあなたが居てくれるだけで幸せです。
だから頑張りすぎず、今は自分の体を大切にして下さい
それが私の願いです。

生活していく為、お金は必要だけど
それこそ何とでもなると思う。
でも体は一度壊してしまったら
治すのは大変でなかなか元には戻らないのは
あなたが一番知っているはずです。

無理はしなくていいよ。
頑張ってるのは私はわかるから
私を選んでくれてありがとう。

〇〇

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

25年涙を流したことのない男が号泣。

と同時に何かの糸みたいなものが
一気に音を立てて切れたような気がした。

路肩に車を停めて号泣しているオッサン

周囲からは相当気持ち悪かっただろうな。



ちょっと前に進めたような気がする。

自己分析しきれない部分もあるさよね。の巻

さて、病院2回目の診察。

アレ以来強烈な目眩や発汗や恐怖感は無いが

頻脈だけが治まらない・・・

こりゃもしかしてコレに関しては精神的なもんじゃなく
心臓疾患か何かと思ってしまうくらいだ。

日中はおろか
就寝中にコレは正直キツイわけで
自分自身の心臓の脈拍音が気になって眠れない。

ってことはだ
ノルアドレナリンとセロトニンのバランス異常っぽいとも考えられる。

俯瞰目線で自己分析は得意だが
こういう状況での自己分析はマズい

予期不安と広域不安を増強させるだけで
悪化の一途をたどるだけ。

今回診察は病院の理事長で
問診は45分にも及んだ。

話をしながら理事長はしきりに自分の唇の端を気にしていた

うん、
理事長の演技にまんまと引っかかったわけで
この行為は俺の相手に対する洞察力や
それに対する気遣いのテストをしていたワケで

見事に俺の根底にあるものを見透かされたようだ。

さすが何冊も精神医学の著書や論文を出してるだけある。

と同時に理事長に対する不安感や疑心感も拭いされた。

緊急時に頻脈を抑える薬

これがまた服用すると眠くなる。

仕事上眠気は大敵なので就寝時のみの最低限の服用の薬を処方されてたワケだが

どうしてもって時用に渡されてた薬

コレを俺は我慢して服用してなかったワケだ。

もともと薬に頼るのは嫌いな性格だし
自己治癒力を信じてきたワケで
飲んで良くなったってどうせフラシーボだと

通常ならどうにもならないのに
『まだまだこれしき!』と耐えてきたのが仇となったワケ。

ものは試しに耐えられなくなって飲んでみたが
20分もすりゃ頻脈は完全ではないが治まった。

非常に悔しい自分も居たりする。

おぉ、あの野郎ついに脳みそやられたかと
ほくそ笑んでる輩も居るだろうがクソ喰らえである。


俺は今自分と闘っているワケだ。

自己分析できるだけに理解できる部分と
だからこそダメな自分の両面の持ち合わせ

まだまだだな。

そうだ、病院へ行こう。の巻

ハッキリ言って

病院ってあまり好きじゃない。

1時間も2時間も待たされた挙句、診察は2〜3分
こっちの話もロクに聞かないで事務的に処方箋に回されハイおしまい。

レントゲンだのMRIだの撮ったとしても
『あぁ、こりゃ坐骨神経痛ですね。』

でも一向に治らないから何軒も病院まわって
ハッキリ病名がわかった時には手遅れ・・・

このパターンが何度かあってから病院嫌いになった。

なんて言いつつも

結局は病院のお世話にならないと
病気は治らない


ジレンマである。


自分に合う病院と巡り会うのは難しい

さて、目眩と動機が治まらず仕事にならないので病院を探して行ったワケ。

正直言って気が進まなかったワケ。

10年程前に心療内科に行ったときは
カウンセリングはするものの的を得ず
ただただ薬ばかりが増えていって
症状は改善するどころか酷くなるばかり
それを抑える為にまた薬が増えるの悪循環

だんだん
『俺って患者さんじゃなくてお客さんなんじゃないか?』
と思いはじめて行くのを辞めてしまった。
勿論絶対やってはいけない断薬をしてしまった為
副作用やその反動はすさまじいものだったが
あのまま病院通いを続けてたら今頃廃人だったかもしれない。

今回はできるだけそういうのは避けたかったので真剣に病院を探したが
完全予約制で初診の場合は1週間後とか
どうしても通院できない場所だったり通院できたとしても
その都度仕事を休まなければならないとこばかりでね

そっちのほうで気分がブルーになってしまった。

精神的にやられているとは言え
自分的には納得いかない部分もあり
こりゃ精神的なもんじゃなくて内科的なもんじゃないか
そういう気持ちも少なからずあったので
内科と精神科、どちらもやってるとこに行ったのが

アタリだった。

医師が診察する前に専門のカウンセラーがしっかり話を聞いてくれ
自分の生い立ちから家族構成、職場の環境や職歴
そんなことまで聞くんか?ってくらい話をし
それから医師の診察。

問診、診察だけで1時間以上。

正直言って俺の病院嫌いの理由を見透かされたかのようでね

その問診時間だけでかなり気持ちが落ち着いたワケ。

まぁね、
大病院じゃそこまで患者の話を聞いてたら
病院そのものが回転しないのはわかっているが

今の病院に足らないのは
患者の話をキチンと聞くこと。

なんじゃないかと。


で俺の仕事事情やその他諸々を考慮してくれて
処方された薬は最低限のものに。

パニック障害になった原因は俺の想像を超えていて


睡眠不足。


ちゃんと7時間寝てるもんだと思ったんだが
実は常に精神が緊張した状態で
良質な睡眠が全く取れておらず
そこに人間関係の悪さや
家庭環境、過去のトラウマなどが重なって
自分のキャパシティを超えてしまったらしい

自分で言うのも恥ずかしいが
真面目な奴ほどなるパターンらしい。

で、

帰りのコンビニで何気に手にしたコレ
本
相当病んでたんだね
てか画像横ですまん。

この心屋仁之助の『好きなこと』だけして生きていく。

全てが俺の心に響いたとは決して言わないが
そういう考え方もあるんだねぇ〜と。

人間ね、
心じゃ変わろう自分

って思っていても
そう簡単に変われるもんじゃないワケで
自分が交われたと思っていても
心の底は何も変わってなかったりね。

いちばんややこしいのは
自分自身だったりもする。
プロフィール

タロー

Author:タロー
生きてるだけでみっけもん。
のんびり適当に生きてます。
文才の無い人間が書いてますので
気分を害す可能性もありますが、
ヌルイ目で見てやってください。
リンクフリーですが一声かけて下さいね。



コメ返遅いですが勘弁して下さい。

2016年11月13日 Asahiからタローに改名

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